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2007年04月08日
ロング・グッドバイ
『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー著、村上春樹訳)
品川駅でいつも立ち寄る本屋さんに、平積みしてあるのを目にしてから、1,2ヶ月、気にも留めることなく通り過ぎていた本ですが、今週の初め、ちょっとした気の迷いのようなものが頭をよぎって、買ってみることになりました。
買ったその日に読み始めたのですが、
「これは、やばい。本を読むのが待ち遠しくなる」
と思い始めるまで、さほど時間はかからず。
結局、600ページほどある大作にもかかわらず、本日、すべてを完読いたしました。
自分、がんばった。
しかし、600ページを読み進める中、一度も、『読み疲れた』という感情を抱かせない文章力のなせる業なのでしょう。少しほめすぎなのかもしれませんが、久しぶりに、こういういい本を読みました。
・・・・とまあ、感動に浸っている様子をつらつらと書き連ねてみましたが、そろそろ感想を書かなきゃいけませんね。
でも、あまりに中身が深すぎて、ぴったりくる言葉が思いつかないというのが、本音。
本当は、小一時間でブログに感想を載せるというのも、失礼に思ってしまうくらい。
でも、訳者の村上さんも、何度も読み返している作品だということですから、以下の感想は、「本日限定の一品」ということでお許しをいただいて、また頭の整理ができたら、改めて書き起こすこととさせてください。
(以下、本の内容に触れます。)
最後、レノックスがマーロウの前に現れて、本当の「さようなら」を言ったとき、世の中って皮肉だと感じた。
ヴィクターズのカウンターで、もう一度、ギムレットを飲みたいと思い返すほどの仲だったレノックスとマーロウ。極端な話をすれば、マーロウにとっては、レノックスが本当に死んでくれていたほうが、きれいな思い出で終わったのだと思う。
一種の片思いみたいなものか。
すごい卑近な例でいえば、学生のとき誰もが振り返るような美しい人と20年ぶりに再会したら、すっかりおばさんになっていた。それなら、ずっときれいな思い出のままで、会わない方がよかった。
とても話のレベルは違いすぎるが、そういった感覚に近いのかもしれない。
アイリーンとレノックスとの間の関係も、同様の構図を持っていると思う。
でも、本当に、レノックスとマーロウは、「さようなら」をする必要があったのだろうか。
この「さようなら」には、どういう意味があったのだろう。
レノックスとマーロウが、友情を保てたのは、ある程度の距離感があったからなのかもしれない。 けれど、時間と空間が隔たった環境の中で、お互いに互いの人生に踏み込みすぎた。最後のさようならには、そういった「疲弊感」の色を感じる。特にマーロウは、レノックスがいない中、彼の人生をしゃぶりつくしたことだろう。二人の関係は、あまりにも運命的であったために、そして、マーロウがあまりにも誠実であったがために、二人は、「さようなら」を言わないといけなかったのかもしれない。
「自分の中に、レノックスがいるか」と問われたとき、たぶん、誰しも、思い当たるふしがあるに違いない。たぶん、自分も含めて、同世代の人間が働きだし年を重ね、あるものは結婚をし、子供を作り、そして、死んでいくというプロセスの中で、人というものは変わってしまうものなんだと思う。でも、一方で、お互いが変わってしまったことを受け入れられない自分も確かに存在していて、時空を超えて大切な人と再会したとき、時の経過を感じるのではないか。
そして、ギムレットのような、変わらないお酒を飲みながら、時の移ろいに浸りたくなるのではないだろうか。
投稿者 zackie : 2007年04月08日 01:15
From:mariko.e
From:ざっきー
おお、なんという奇遇!
ぜひチャンドラーワールドに浸ってください!
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ちょうど昨日紀伊国屋で購入したところ!!!!
タイムリーでびっくりすたー。
原作がとても有名で主人からもオススメされていたのに、
原書では読みきれない駄目な子には有難い村上春樹の訳本!
あんなに厚くても一気に読めちゃうのだねぇー。
昨日結局開かず寝てしまったので ^-^;
今夜は楽しみに読んでみます。