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2006年10月08日

東京タワーby リリーフランキー

リリー・フランキー著 『東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~~』

会社の先輩が号泣したということで、借りて読んでみた。

リリー・フランキー(ボク)の自伝的な内容で、自身が生まれてから母親(オカン)が東京タワーの見える病院で亡くなるまでのことを綴っている。時代ごとにボクの生活は徐々に変わっていくが、時代を経ても変わらずに注がれるオカンの愛情、そして、病気、死。読者が今置かれている状況によって感じ方は異なるかもしれないが、リリーが書いているように、人生で一番恐れていて必ず訪れる『母親の死』というものに対して、どう向き合えばいいのか、考えるきっかけを与えてくれる本だと思う。

ところどころ挟まれているフランキーのつぶやき的な文章も素敵。

その中から一つ引用。

前世紀末に人々が信じ恐れた予言は当たることもなく、ただ単純に、次々と日めくりがめくれるだけで、はるか未来であったはずの二十一世紀はやってきた。
その昔、人々が想像した二十一世紀の姿。それは大幅にはずれることもなく、今、我々の身近なものになりつつある。
コンピュータ。テレビ電話。宇宙旅行。ロボット。
映画で観たそれぞれは、現実になった。しかし、ひとつだけ、昔の人が想像できなかったこと。気づかなかったこと。
それは、すべてのものは進化の過程で小さくなっていくということだった。
兵器並みの能力を持つコンピューターを描くとき、フィルムの中、漫画の中ではいつもそれは家具のようにおおきくかたどられていたものだ。しかし、今はその程度のコンピューターでも、子供机にコンパクトに並べられている。
それは、実寸の問題ではなく、人々の心の中では偉大なるものはすべて大きく映っていたからなのだろう。
母親に手を引かれている子供が、その母親の身長など気にしたことがないように。
「たわむれに母を背負いてそのあまり軽さに泣きて三歩あゆまず」
石川啄木が目を潤ませて立ち止まったように、誰しもがかつて大きかったはずの母親の存在を、小さく感じてしまう瞬間がくる。
大きくて、柔らかくて、あたたかだったものが、ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。
それは、母親が老いたからでも、子供が成長したからでもない。きっとそれは、子供のために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿なのだ。
五月にある人は言った。
どれだけ親孝行してあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。

投稿者 zackie : 2006年10月08日 12:58

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